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オサム・ジェームス・中川展「BANTA」(後編)
前回につづき、オサム・ジェームス・中川展を観て思ったことを。

沖縄戦の悲劇を題材にした今回の『BANTA』のように、
戦争の悲惨さを伝える写真作品は今まで数多く発表されてきました。
そしてそのほとんどが、ドキュメンタリーやジャーナリズムという文脈、
いわゆるストレートフォトの形で発表されてきました。

-写真集『BANTA』(部分)-©osamu james nakagawa-

一方、BANTAに登場する絶壁は、実際に現地で撮影はされているものの、
その後、高度なデジタル加工、結合技術を用いて製作された、
言わば現実には存在しない崖。これは非常に特徴的なことです。

色々考えながら観ていると、ナカガワさんが挨拶に来てくれました。
アメリカ生活が長いナカガワさんとは、英語、日本語ちゃんぽんの会話に。

カキシマ:「通常ならこの歴史を理解するためストレートに撮りますよね。」
ナカガワさん:「But that's in the head!」(でもそれは頭の中でなんだよ!)

そう、今回の作品でナカガワさんは頭で『理解すること』より
身体全体で『経験すること』を重視したのですね。
その目的において最高の結果を得るためにたどり着いた手法が
たまたまデジタル合成だったということなのです。

作品について何の事前情報も持たずに作品の前に立った私が
目眩のような感覚と異様な空気を『経験』した事を考えると、
彼の試みは成功していると思います。

-写真集『BANTA』©osamu james nakagawa-

さて、デジタル加工写真を語る時、しばしば議論されるのが
「デジタル加工は、写真の 『あるがままを写す』 という特長をないがしろにする。」
というものです。
特に日本では、写真を加工することはもちろん、トリミングさえも
邪道とする見方が未だ根強く残っています。

しかし写真とは、あくまで撮影者が恣意的に選んだ対象を
これまた恣意的に選択したタイミングで、
かつその対象の一部を切り取って撮影する、いわば『編集行為の連続』ですから、
この主張はあまり説得力があるものではありません。

日本に『photography』が伝わったとき、その訳として『真実を写すもの=写真』
という言葉が与えられた影響は非常に大きかったといえます。
ちなみにphotographyを直訳すれば『光画』なんですけどね。

ストレートフォトは写真の基本であり、すばらしい魅力があります。
ただ、現代の写真表現は、もっと自由でも良いのではとも思うのです。
デジタル技術でも、他の技法でも、その作品表現において使う必然性があれば、
もっと自由に使ってよいのではないかと思います。

結果、その作品が写真と呼ばれなくなったとしてもね。

+++++++++++++++++++++
オサム・ジェームス・中川展
BANTA:沁みついた記憶


銀座ニコンサロン
1/20 (水)〜2/2 (火)
10:00〜19:00(最終日は16:00まで)
会期中無休
| カキシマ | 23:30 | comments(2) | trackbacks(0) |
Comment
彼の作品には非常に興味を持っています。サムネイルだけでの圧迫感。是非見に行きたいです。
Posted by: RITA Aless |at: 2010/01/26 2:28 AM
>RITA Alessさま

RITA Alessさんのように、作品製作にデジタルを取り入れている作家さんには、色々参考になる展示だと思います。
DMで受ける印象と実際の展示でのインパクトの差が、よい意味ですさまじく大きかったです。
Posted by: カキシマ |at: 2010/01/26 12:35 PM








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